Queer our time back

あらゆる属性の実存を肯定する

『イン・クィア・タイム』出版前から今まで

『イン・クィア・タイム アジアン・クィア作家短編集』訳者の村上さつきです。

当方のX/Twitterアカウントの凍結に伴い、細々と発信していたこれまでの経緯がすべて消えてしまったので、今一度事の発端からアカウント凍結に至るまでのあらましを、ひとつに纏めて記します。

 

※読み進める前に※

この文章は以下の内容を含みます:差別/差別的言説・(マイクロ)アグレッション/ハラスメント及び、性加害/性暴力・(性的)虐待などの具体的言及・引用。
ご自身の状態を勘案し、適宜読むことをお控えください。

※また、前提として、私は「同意しない/同意できない他者に対するあらゆる性的行為(言葉などによるものを含む)」に強く反対します。

 

 

2021年

 ころからさんに当時無名の修士院生として直で原稿を送り、それを元に拙訳を出版して頂くことになりました。まさか本当に拾って頂けると思ってはおらず、感激したことを鮮明に覚えています。この時のご判断には今も大変感謝しております。
 数ある出版社の中でころからさんに原稿を送ろうと決めたのは、差別反対やマイノリティに関心のある出版社さんを探していたため。
 ここで出版させていただこうと決意したのは、「いきする本だな」という誰の呼吸も奪わない、差別反対のレーベルに強く共鳴したためです。

korocolor.com

2022年8月

 「いきする本だな」の下で『イン・クィア・タイム アジアンクィア作家短編集』が出版されました。

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 このアジアのクィア作家らによる、共にいきをするためのアサイラムは、誰も省かない。
「徹底的な包括を」と私の立場は一貫してきました。
これは原作アンソロジーの編集者まえがきの理念とも合致します。
(2023年9月5日に交わした私信においても、この旨に揺るぎが無いことを互いに確認いたしました。)

「全ての差別に反対。」
出版が決まった直後に、私はTwitter/X(現在凍結済のアカウント)でこの旨をツイートしました。

2023年6月

 LGBTQ+内部から、より周縁化されたクィアを排除する言説がバズりました。
 概要としては「LGBTQ+がPZN(とりわけペドフィリア)を内包するというのは極右のデマである。:PZNは確かに危険だが、LGBTQ+はPZNを排除しているので危険ではない」というもの。

 私は一貫してこの言説に反論していました。「ペドフィリアが危険」は誤りです。このようなゲートキープはどんな形であれ、してはいけないことです。
 端的に言えば、
・「ペドフィリア(小児を好きになる/性欲を抱く)」と「チャイルドマレスター(小児に性加害をする)」は全く別物であり、関連性も無い
・「慕情の対象(のおおまかな傾向)を理由に危険視・排除する」のは差別である
ためです。

ここでは詳しくは記しませんが、以下の記事に詳しいです。

ペドフィリア、チャイルド・マレスターと性的指向

sykality.wordpress.com

私も何度か発言しています(旧アカウントでも定期的に発信しておりましたが、凍結してしまったので、作り直したアカウントのツイートのみになります)。

 

 ある時私は、『イン・クィア・タイム』の帯のキャッチコピーを書いて下さった作家の方がツイッターにてペドフィリア排除言説を拡散していたことを知りました(現在は撤回済)。

 誰も省かない、アサイラムとしての本を想定していた私にとって、帯著者の当時のスタンスはこれを脅かすものです。ですから、ころからさんに「本の理念と、帯の方の拡散した言説が合わない。訳者として問題視する。なんとか出来ないか。」とお伝えしたのですが、この時は数度に渡りはぐらかされました。 

6月下旬~7月下旬

 『イン・クィア・タイム』及び「いきする本だな」の理念(端的に言えば”総包括”)と、帯の方の拡散した排除言説の矛盾について、複数の読者さんからの問い合わせがあったようです。(そのおひとりが坪井さんでした。)
 これら複数の問い合わせに乗っかる形で、私は再度「排除言説は差別である。訳者としても、可能であれば今後は帯を外して欲しい」との旨をころからさんに伝えました。
 しかしこの点について、ころからさんは「社の一存で帯を外すことは事実上可能ではあるが、そのような重大な決定を下すには根拠が不十分だ(大意)」と仰り、頑として反対の姿勢を崩されませんでした。

 これは憶測にすぎませんが、コスト面での懸念から「帯を外さない」という結論ありきでの論展開・はぐらかしだったと思っています。
 「根拠」に掛かる問答の過程で、私や、ペドフィリアクィア当事者の方がころからさんから以下の差別/アグレッション/ハラスメントを受けました。

  • 帯著者の決定及び採用・採用継続の一切がころからさんの権限・責任であるにも関わらず「村上が帯著者にお便りをして”気持ち”を伝えてみないか」と言って、あたかも私の”気持ち”や帯著者さんの責任問題にすり替えようとする。
  • 既に私や坪井さんから説明を受けたことについて「著名な活動家も排除言説には賛成しているようなので、何が問題か分からない」などと、暗に”無名”な我々の言うことでは(仮に当事者であっても)価値がない・聞くに値しないとした権威主義的な態度を取る。
  • 「誰でもネットで直接帯著者の方にコメントできる」「ネット上での動向には注視する」と言外に公の場での議論を促す(帯を採用した出版社の責任問題でしかないのに、何故か”帯著者vs読者”の構図にしようとする+差別に被差別当事者を立ち向かわせようとする)。
  • 私との定例会議(Zoom通話)で以下の発言(大意)。
    「(存在するのは勝手だが、此方らの)人権とか反差別のことは語れない」
    内心の自由はあるが、自分の属性を開示してもいけない(Don't say Gay)」
    「怖いと思う人もいるから居てはダメ」
    「婚姻などの法整備を出来ないセクシュアリティであるため、人権っていう意味では同じ土俵に立てないので、人権を認めることはできない」
    「LGBTQ+に入らないと言っているだけで存在するなと言っているわけではないから差別には当たらない」

    「これから時代が変わって、常識の変遷によってPZNの人権を認めなくてはないと考えるようになるかもしれないが、今はダメ(差別反対は恣意的で良いという矛盾した姿勢)」

    「(ある属性に対して人権を認めるか否かという)意見の相異はあるけれども、概ねセーファースペースを作ろうという共通目標があるのだから、我々は連帯出来ると信じている」
    「坪井さんが仕事先として”頼っている”○○さんも、差別反対はなるべく努力すれば(出来ていなくても)良いと言っていると我々は解釈している」

 私は何度も上記URLの記事やツイート(ポスト)にあるような説明をし、排除言説を拒絶する姿勢でいなければ『イン・クィア・タイム』のみならず「いきする本だな」というレーベル自体の地盤が揺らぎかねないということも説明いたしました。ですが、帯及び読者への差別/アグレッションについての対応がころからさんから為されることはありませんでした。

 

 「帯を外す」という出版社の一存で可能であるレベルでは頑としてご対応いただけなかったため、帯著者へ直接お便りすることも常に視野には入っておりました。氏のX/Twitterアカウントから発言の撤回/訂正があれば、帯を外す必要は事実上なくなるからです。

 しかしころからさんの断固とした「仲介(連名/仲裁でなく)」姿勢のため責任の所在があやふやな個人間の問題になりかねず、互いの職務上及び心身の安全を考えると、確かなセーフティネット無しにはお便りすべきでないと考えました。ころからさんの下では帯著者への連絡は避けることにしました。
 (帯著者の方へのメールについて、氏のX/Twitterのbioに「仕事の要件以外届かない」との旨記載がありましたので、個人的なメールも届かないものと思われました。こちらで無関係の第三者を立ててメールするなどの措置は無効と思い、当時は連絡していません。)

 

8月上旬

 この時期、別の関連会社に、帯著者の方に「連名」で連絡出来ないか伺いました。
 するとこの会社さんは同件について既に問題意識を持っていました。これ以前から水面下で動いていたそうで「帯著者は既にこの問題について認識しており、ペドフィリア差別の件を反省されている。ペドフィリアとチャイルドマレスターを混同してはいけないと、確認した。」と連絡を頂きました。
 故に、私が直接の連絡に及ばずとも、帯著者の方とはペドフィリア差別はいけないという点で既に同意見でありました。

 しかし、ころからさんへの問い合わせにおいても頻繁に指摘されていた、氏の排除言説の投稿が依然としてX/Twitterから削除されていなかったので、その旨を共同で伺うことは可能ですかとお尋ねしました。ですが件の会社さんが別件で忙しくされており(名指ししたいわけではないので詳しく言及しません)、こちら経由でのご連絡は2023年9月6日現在に至っても叶っておりません

8月下旬

 ころからさんの徹底的な不対応と、帯著者の問題の投稿が消えずにいることで、読者の方が不安な思いをしている状況が2ヶ月超に及び、一切の変動がないことに危機感を覚えました。本件を公にせざるを得ない可能性を鑑み始めました。万一に備え、公にするための準備をし始めたのは8月25日ごろです。

 しかし、本来は私も殊更に騒ぎ立てたくなかった。公にすることによって寧ろ新たに差別を目にして苦しんでしまう方を生むかも知れなかったためです。なるべくそのようなことが起きないよう、信頼できる方に客観視して頂きながら、最後の手段として、且つ慎重に準備し始めたところでした。

 

 その矢先、読者の方からころからさんへの公の批判がありました。およそ6~7月頃に頂いた問い合わせの送り主・おひとりから、帯の件への問題提起、及び、メールでやりとりした際にころからさんから差別/アグレッションを受けた件に付いての公表でした。ころからさんは、問い合わせをした被差別当事者の方に、著名人の排除発言を直接引用で送るなどの加害行為をしていました。

 私の取引先及び訳書の下で、排除/差別/アグレッションをクィア当事者の方が受けてしまったという事実がある以上、その著者としては意見表明しなければならないだろうと考えました。この方の訴えは正当なものであり、クィアフェミニストを名指して翻訳作家をする身として、連帯は当然のことでした。
 そこでころからさんに「この件について発信したい。私の立場は現在のころからさんと対立するものであるが良いか」と、急ぎメールで確認を取りました。

しかしこのメールに返答される前に、ころからさんは29日付でHPを更新されました(↓リンク先:取り消し線などは29日公開当初はなかったものです。その他文言の削除等のサイレント修正が、同意・告知なくいつの間にか行われています)。

korocolor.com

このことを私は返信のメールで知りました。無論、上記ステートメントの事前共有・確認等はありませんでした。以下記事の問題点(サイレント修正前時点)。

  • 内心の自由は認める」のようなステートメント自体、好意的に取ろうとしても非常に消極的なものです。要するに「こちらに姿を現さない限りで、存在を糾弾はしません」というような、人権の考え方からしても、差別反対のレーベルにも、ころからさんの日頃の人種差別反対等のご活動に照らしても、余りにそぐわない日和見の言明だと思います(更に改悪されましたが)。
  • 「(被害者が)公の場で直接立ち向かえばよい」「ネットでの動向は注視する(※現在削除済み)」という旨の記載があります。そもそもこれは元々帯の採用継続の可否の問題でしかないのに、表立って「帯著者に直接言いに行け」というのは帯著者・被差別当事者の双方を危険に晒す行為です。
    ・被差別当事者は「(自分を差別するかもしれない・人気や地位という権威のある者に)自己責任で立ち向かえ」と言われているようなもので、これは差別/アグレッションです。
    ・帯著者の立場からしても、この事件は、
    取引先の会社に「この方にこういう問題があったらしいが、皆さんが直接文句を言いに行っても我々は静観します」と表立って言われたということです。これは悪質なハラスメントです。
  • 「訳者と出版社の不同意」についてのころからさんからの言及も無かったため、同意見と思われることが全く不本意でありました。

 故に、急ぎ意見表明をしなければいけなかった。慎重に行おうとしていたところを、急がざるを得なくなった次第です。

尚この時点で初めて、帯著者の方に坪井さんと連名で「問題のツイートを削除して頂けないか」という旨を一度きりメール致しました「仕事の要件以外届かない」はずだったため、ダメ元のご連絡でした。ただ、返答などは9月6日時点で頂いておりませんが、X/Twitterでの投稿を拝見した限り、読んで頂けたものと考えております)。

 以下は私が急ぎ行った旧アカウントからのツイート(ポスト)をまとめたGoogleドキュメントです。

凍結されたアカウントで投稿していた本件に関わるツイート(ポスト)まとめ - Google ドキュメント

 これらの投稿の後、8月30日時点で、私の旧アカウントが凍結されました。恐らく「#ペドフィリア差別に反対します」というタグの使用が誤って問題視されたものと思われます。

 

本件について

 『イン・クィア・タイム』の原作アンソロジー『Sanctuary』を編んだ二名のうち、Ng Yi-Shengさんが、連帯の意思を表明してくださいました。

 

※尚、私信において、Ng Yi-Sheng氏には、このブログで説明した経緯に並べて

  • 帯著者の方が一度は我々と意思を共にしたこと。
  • しかしX/Twitterでの各方面からの苛烈な反応に苦しまれ、自身の性被害経験のフラッシュバックを引き起こされ、今は表明を取り下げられ、アカウント削除に至ったこと。
  • 休息を必要とされていること。
  • 帯著者自身もクィアの作家であること。
  • この件に対しころからさんが帯著者へのフォローなどの責任を果たしていないこと。

  などを含めたすべてを共有しております。

 

↓編者のツイート(ポスト)。

ペドフィリアについての)この話題をとても気まずく感じるが、しかし彼女(村上)は真実を言っている。

問題なのは「加害行為」であって、「加害するかもしれないこと」ではない。
(後者を問題視することは)すべての男性はレイプ魔であると言うにほぼ等しい。

 

 Ng Yi-Sheng氏との私信において、

 「『Sanctuary(イン・クィア・タイム)』にあるクィア短編のみでは、あらゆるクィアなラベルを網羅出来ている筈はない。しかし、17編分のクィア達のいるSanctuary(保護区/理想郷)の延長上にはきっとあらゆるクィアが居る。それを踏みにじることは我々の理念にそぐわない。」

とお互いに強く確認しあいました。

 問題はこのアンソロジーに誰が描かれ、誰が描かれていないかではありません。このアンソロジーはあらゆるクィアのために編まれたものです。

 

 同様に、ころからさんの「いきする本だな」というレーベルは、差別反対の旗印を掲げて書籍を出版してきたものであり、あらゆるマイノリティのためのものではなかったでしょうか。ここに照らせば、本件はより一層悪質な「罠」「騙し討ち」とさえ言わざるを得ないものです。

 日頃、反ヘイト本、反差別(特に反韓国・朝鮮人差別)の活動を積極的に行い、反LGBTQ+差別、反エイジズムなどに関連する本も出版され、常にあらゆるマイノリティ当事者へ開かれていた、そんなころからさんを信じていました。
 その結果「いきする本だな」というレーベルの下、クィアアサイラム(『Sanctuary』)を標榜しながら、集まってきたマイノリティたちに対し「存在を許される者/許されない者」と文字通り線引きを施すことになってしまいました。

 

 先に言及したステートメントの、サイレント修正後の取り消し線は、文字通り我々クィアの存在を「取り消す」ものです。私村上さつきはこの暴挙を絶対に許しません。アサイラムを目指した拙訳書が、最早このように凶器に変えられてしまったことが、筆舌に尽くしがたいほど悔しく、悲しいです。誰の居場所も奪われてはなりません。排除は排除を生む。一度引いた線は恣意的に形を変え、時勢によって居場所を変え、その時都合の良い誰かしらを常に「取り消し」続けるでしょう。人種差別で、ゲイ差別で、トランス差別で、我々はそれを目撃してきました。繰り返してはならない。故に線引きそのものを拒絶しなければならなかった。
 私は如何なる線引きをも、拒絶し続けます。私はペドフィリア差別に反対します。私はあらゆる差別に反対します。

 今後ころからさんに引かれた取り消し線の下でいきすることを阻まれ、苦しむ者の出ないことを切望しています。

 クィアの時代のために。
 Queer our time forward.